アーサーおじさんのデジタルエッセイ556

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第556 ピンとこない、松下村塾


 世田谷区役所通りに平行した商店街を奥まで行くと、松陰神社というものがある。
吉田松陰先生の墓があるので、彼にちなんで建てられた神社であろう。
暇な折には見て歩くとよい。
とはいってもそんなに規模の大きいものでもないし、変わったものがあるわけではない。
本殿の横に、随分と小さな寺子屋のような古い家屋があって、塾であった建物らしい。
しかしながらここで明治の志士たちが育っていったとある。(久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育)とはいえ、彼が亡くなったのは30歳。
私の子供たちの年齢ではないか。
それにしては肖像がオジサン臭い。
そして死の4年後、門下生がここに霊を祀ったという。

 彼、一名の思想が広がって、明治の頭脳が揃うとすれば驚異である。
いったい何を教えていたのだろうか?
 H2Oか、太平洋プレートか、植木算か、源氏物語か、あるいは地動説なのか?
それともソロバンに簿記、オランダ語、米国史か、などと考えてしまう。
しかし、主に当時の政治思想なのであろう。たかだか30歳でそれほどの影響力を持つものか。
そういう時代なのだ。
そして現実にそこから国家を論じる人びとが生まれる。
今のような教育制度が無い時代には、そういうパイオニアの存在が「日本自体」を教育してしまう。それがデファクト・スタンダードを作るということだ。
今は、少々頑張っても、日本を動かす巨大人材が一か所から輩出できるということはあまりなさそうである。
暑い。
  

             ◎ノノ◎
             (・●・)
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         「また、お会いしましょ」   2011年8月27日更新


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