アーサーおじさんのデジタルエッセイ550

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第550 藁をも掴もう


 やむを得ず原野に、仮設で作られる宿舎や本陣でも、見掛けをととのえれば、立派な施設として評価を受け始める。
 つまり戦場ではまともな施設が出来るはずもない。
そこでは少しばかり、静かで居心地のよさそうな平たい場所が選ばれ、草など刈って整えられる。
テントを張り、入り口を設け、衛兵を立たせ、旗など掲げて、偉い人のいる印とする。
そうすると周囲との差から、なんだかそこがすごい場所のように見える。
要は相対的なものである。
 さて、クーラーがよく効いて、快適な都市生活を送っている。
それがたまたま、天災絡みで崩壊すると、あのクーラーの存在しない、天然の気温の中で生きる世界が現出する。

 これは大変なことである。
 昭和半ば、日除けの屋根に過ぎない日本の夏の家屋が想い起こされる。
焼けつくコンクリートの塊であるデパートは人の熱気を窓から押し出せず、階段の踊り場に置かれた氷柱の回りに子供や大人が群がった。
昼寝をしても畳との間に汗が溜まった。
人はあらゆる日陰と風を求め、結局一日中軒下で団扇を煽いでいた。
風鈴が軒先に吊るされ、掻き氷に喉を唸らした。
夕立が道の埃を洗うと、人の目がようやく輝いた。
 もう少し時代が進んでも同じようなもの。
恐ろしい焦炎地獄のような熱気の地下鉄は窓が開け放たれても、鼓膜をつんざく拷問の鉄函であった。
ドライブもままならない。
いくら三角窓を開いても、信号待ちのたびに熱射病の怖れがあった。
 半袖シャツ、ゴザ、風鈴、打ち水、そうめん流し、などが涼しく聴こえるとしたら、それは戦場に薄い板でも立てた本陣のようなものである。
ないよりどれだけいいであろう。
そして次第にけっこう豪華な気分がしてくる。
夏のボス猿が涼しい岩陰を占有して心地よさげな風情に近い。
まあ、けっこう愛らしい。


             ◎ノノ◎
             (・●・)
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       「また、お会いしましょ」  2011年7月9日更新


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