アーサーおじさんのデジタルエッセイ535
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む オフィスはガラス張りの南側に向いているので、外気温の冷たさとはうらはらに暑いくらいである。
福島方面では今、しきりに雪が降っている。
ほんとうに寒い一日となるだろう。
ひとり、ふたりと知り合いの無事が電話やメールで知らされる。
けれども確実にそこから外れる人の絶対数が既に伝えられている。
3月11日。これからこの日の出来ごとや意味を、長い時間をかけて我々は充分に語ることになるだろう。
社会的な教訓もあり得るかもしれない。
けれどもそれは巨大なものではない。
この社会のシステムは教訓を維持できるようなシステムには作られていないような気がする。
事故が起これば世界中で円が売られる。
すぐあとでは、復興のための資金流動が見込まれて一気に円高に変わる。
ささやかで力強いボランティアの意志に関わらず、世界のシステムは緊急時には適していないような気がする。
だからこそ、いったい何が個々の人生に重要だったのだろうかと傷口を優しく手当てするような気持ちで今は考えなければならない。
チリやインドネシアの人々が率先して援助や寄付を準備するのは、そこに教訓が生きているからだろう。
その表情は確かに柔和で、ある種の人生の宿題に立ち向かう生きがいに満たされているようだ。
こうやって、人生の見直しを迫られたり、世界のシステムに挑戦する機会を与えられたりする。
なにしろ今日生きている私たちは、とうとう「地球」の歴史に立ち会ってしまったのだから。
◎ノノ◎
(−●−)
「また、お会いしましょ」 2011年3月19日更新