アーサーおじさんのデジタルエッセイ497
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 昨日、雨が降ったが夜明けには上がった。
			朝、マンションの鉄の扉を開けると、そこに区切られた矩形が緑のプールのように輝いた。
			目の前の木々は風もなく静かで動かない。
			その葉が折り重なるようにしてきらめく色彩のカーテンになっていたのだ。
			思わず足を止め、一枚一枚の葉の起伏を自分の心の起伏のように味わう。
			そこには随分と手間のかかる神の仕事が為されていた。
			少し、しな垂れる青い葉に、緑玉の珠が散りばめられている。
			一枚の葉に、数十個の玉である。葉の起伏は、さらに奥へと深い緑の風景を構成しているから、珠はいったい何万個、いや何億個を要しただろうか。
			廊下をもう一歩進めば、またその横に、珠を抱いた木々の風景が広がる。
			神に手抜きはない。
			一個の珠を磨きあげるのにどれくらいの手間を要したのだろう。
			神の手は一つ一つの珠を徹夜でお作りになったのか。
			もし、これが名のある宝石であれば、何人の指と首を飾ることが出来るだろう。
		

 不思議なことにこれらの美しさは、気圧の変化、温度の上昇とともにもろくも崩れていく。
			また季節が変わればそういう緑の色も風合いが変わる。
			 この新緑の色彩を、固定する方法を人間は知らない。
			そして紅玉のような夕焼けも、一日続いたためしはない。
			青い海、青い空もつかの間の自然の呼吸から生まれ消えていく。
			 こういう大自然の色彩の片鱗を掴んだのは誰だろう。
			アフガニスタンのラピスラズリの採掘者だろうか?
			紅花の抽出での紅作り職人だろうか?
			ありふれた顔料のことではない。
			ありふれた人工顔料でさえ、もちろん人類の始まりにはなかったものだ。
			 最初に教会にもたらされたステンドグラスの輝きが、当時の人々を従わせしめたのはそういう固定の力である。
			固有の色彩以外を人工物の中には見ることのなかった人々が、昼間に朝焼けの灼熱を見たり、闇の中に夏空の紺碧を見たりして腰を抜かしたに違いない。
			自然の一部がコントロールされている。
			ここには「神」がいるに違いない、と思わせたのであろう。
             ◎ノノ◎
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」  2010年6月5日更新