アーサーおじさんのデジタルエッセイ467

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第467 眠れぬ夜には、ひとの幸福を祈ろう


 いい年を取ると、決してロマンチックではなく眠れぬ夜が来ることがある。
しばしば何日も続くこともある。
それでも若い頃は睡眠不足の疲労感がやがて眠りに導いてくれたのに、もうそれもなく、ただただ疲れて辛い時間を暗闇で過ごす。
どうせ眠れないならばと、灯りをつけて読書をしてみるが、思ったほどには意欲が湧かず進まない。
過去と未来のさまざまな辛さ、苦しみが思い起こされる。
 人生のダークサイドが目覚めているのだろうか。
 そういえば、幼い頃、あるいは血気盛んな頃、うっかりやってしまったミスや迷惑を、ふと思い出す。あの頃は「いつか礼をせねば」「償わなければ」と考えていたはずだ。
忙しいことを言い訳に、その呵責から逃げていたのではないか。
そのうち謝るべき人とのコンタクトの手段も失ってしまって久しい。
負債も宿題も、棚に載せたまま、人生の列車は「ここ」まで進んでしまった。

 何もしないうちに、何もできない人間になってしまった。
あらぬ方向を向いて「ごめんなさい」とつぶやく。
慰めになるのか、誰が聞いてくれるのか。
それは世界を統べる神だろうか、自分の神だろうか。
もう一度、枕に頭を沈め、その人が、どうか幸せに暮らしてくれますように、何も力になれないことを知りつつ祈る。
そうして祈ることが、眠れない自分の限られた仕事であるように、思い始めれば、少しずつ、安らかな睡眠に歩んでいく。
年寄りが、人の幸福に共感を寄せるのは、そうやって宿題を片付ける時間を自覚するということなんだろうか。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2009年10月31日更新


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