アーサーおじさんのデジタルエッセイ463

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第463 男湯の女の子


 ジェンダーという概念があって、ジェンダーで人の役割を決め付けるのは差別だという。
男女差別のことである。
しかし、世界はいかにも大げさに、男と女、真二つに分けられている。
身につけるものが全て違う。
形が違う、色が違う。
少しずつ混じってくる変化はある。
大型トラックのドライバーに女性がいる。
飯場にも見かける。
頭に鉢巻、地下足袋を履き、下の膨らんだズボンを履く。
それなりにカッコイイ。
 どちらにせよ、巨大な差異を前提に世の中は、飾りつけられ、価値付けられている。
それを差別するなというのは、ほとんど強制的な「集団演技」のようでもある。

 ほんとうに差異がないに近いのはどこだろう。
よみうりランドという遊園地で小さな子供たちと家族がプールで遊んでいる。
その横に大きな温泉があって。
いくらかの客はプールで遊んだあと、お湯に浸かる。
男湯にもぞろぞろ小さな子供たちが入ってくる。
彼らはしっかり日焼けしているがお尻だけ真っ白である。
そこに長い髪、ぺたんこの胸部も白い子供が来る。
それは女の子である。
ちょっとドキリとするが、認識以上の差別はない。
屈託がない。
このくらいまでが男女平等である。
あとは世界の方が区別を要求してくる。
 そうするとこれは労働問題なのだろう。
労働市場の独占を排除したいのだ。
歌舞伎には女性がいない。
問題にされないようだ。
これはきっと労働市場ではないのだろう。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2009年10月3日更新


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