アーサーおじさんのデジタルエッセイ441

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第441 見えなくなる、という話


 人は自分の持っている幸福については気付かないで、足らないものばかりを考える。
あげくは望みが叶わないのは他人のせいだといったり、運命を呪ったりし始める。
そうすると、反省や改善はなされずに、不満と苦しみを訴え、しだいに不幸を養うはめになる。
 ボウフラの湧く泥水のような水溜りから、炊事や飲料の水を手に入れる。
それも夜明けとともに何キロもの距離を歩いて汲んでくる。
アフリカやアジアのこのような日常の人びとには、雨が降るとか、手紙が届くとか、家族が帰ってくるとか、お古の洋服が手に入るとかささやかなことが、大変な喜びになる。

 でも我々にはならない。しかし、それは心がけの悪さでは決してない。動物の実験でも分かることだが、ある刺激は暫く続くと生物にとってそれは感じられなくなるのだ。
視覚の実験ではどんな強い色の組み合わせでも、じっと見つめると時間とともに「白」に近づく。
自分に漂う匂いは、本人がもっとも感じなくなるのだ。たとえそれが良いものでも、悪いものでも。それを感じるための必須の条件は絶えざる「変化」。
 幸福を持っている人生、幸福を持っている国、幸福を持っている時代であっても、動かなければだんだん、感じなくなる。
  

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2009年3月28日更新


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