アーサーおじさんのデジタルエッセイ427

日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む

第427 「だいたい、そんな話・・」 


 この独特の言い回し。夜のスーパーの横で、後から聞こえた女性の声である。
その後に「・・もって来るほうがおかしい」と予想通りに続いた。
しかし、言葉としては自然だが、わたしには違和感がある。
ここには、出来事を事実通りに解釈せずに、世の中の「ルール」でみるところがある。
誰にでもかれにでも、世間には神の声のようなルールがあって、そのプレッシャーに従わなければならないような「上から目線」がある。
ずいぶん自信ありげだ。
しかし、そんなルール、つまり規範がどこから存在すると決められるのか?
ここは北朝鮮ではない。

 どんなに妙な出来事でも、事実でも、あり得るのだから。
それを、鼻っから許されないものとして取り扱う姿勢は現実直視的ではないのではないか。
人生における挑戦や、獲得する栄光も、オリンピックの世界新記録も、「そんな、おかしな話」に挑み、破壊することをもくろむ努力の力なのではないか。
殺人も正当なものがあるわけはない。
しかし、事実として存在する。
よいことも、悪いことも、想像し、挑むことは自由なのだ。
その結果は、世間が、法や感動で裁くことになる。
それはそれでよい。
そんな話、「ないほうがよい」と思うのは、個人の思い付きや、甘えである。
あるいは腹を切る覚悟のある武士が言うことであろう。
 スペインの物もらいは、堂々とレストランに入って来る。
また「空腹です」という看板を掲げ、歩道の真ん中で座り込んでいる。
どんな生き方にも「自由」の分け前があるように思えてくる。


             ◎ノノ◎   
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年12月7日更新


日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む