アーサーおじさんのデジタルエッセイ425
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 人間がお互いを見つめ合うのは原始的な行為であり、とてもセクシャルなことである。
今は、セクシャルというと、「いけない」部分もあるらしいので説明に困るが、欧米では、まず人は見つめ合うことから始まるのである。
「がんつける」という苦情は、どうも特殊らしい。
見つめる行為自体が問題ではないはずだ。
それが問題になるのは、次の言葉がどう発信されるかである。
「やあ、こんにちは」と言えば、問題は起こらない。
スペインの一都市で過ごしたが、目を合わせない社会的な時間はほとんどあり得ないのである。
エレベータでも、切符売り場でもレジでも、目を合わせお互いに「やあ、こんにちは」と言う。
しつこいくらいである。
こうすれば、レジの可愛い彼女の目を見ることも出来るし、気にいれば次の言葉をかけることができる。
うーーん。なかなかいいものだ。
街でも同じことだ。
ちょっとしたきっかけがあれば話し掛けることができる。
「セクハラ」という概念はセクシャルの果てにあるかもしれないが、相当に先だ。
セクシャルな文化は、人間性の謳歌の範囲を決めるので、相当に広く取られているのである。
(社会的な表現の)キスと抱擁は人間性の小道具なので、その親密性に応じて使い分けられる。
社交的には体に触れないで交際する日本文化は、人間性の表現の幅をかなり狭めているので、愛情の言語は抽象的に流れやすい。
ストレスも増え、その中で育った若者に歪みも生まれそうだ。
日本に帰ると、とたんに、レジの女性の目を見つめること、笑顔を見せること、がはばかられる自分が少し悲しいのだ。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2008年11月23日更新