アーサーおじさんのデジタルエッセイ409
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 宇宙の不思議は、いつもわれわれを目覚めさせる。
小学生のころ、宇宙には果てがあるか、ないか、随分悩んだ。
これはある程度の答えがあるが、ここでは書かない。
今日は「宇宙の存在」のことだ。
宇宙が存在するか。
しないのか。
「するよ」と言ったのは、あなた?
誰に教わったの?
では、1万年前には宇宙は存在したか。
実はしなかったのだ。
一説には宇宙は無限にあると言う。
あらゆる可能性の中の一つに、この私たちの宇宙があるという。
しかし、人類が存在しない地上には「宇宙」をイメージする人はいなかった。
トカゲがいても彼は宇宙や地球を認識することはなかった。
かくして1万年前の原人類の頭には宇宙など無かった。
それが不思議だ。
宇宙は想像上の出来事なのだ。
人の頭の中の、現象なのだ。赤いマグマの沸騰する地球誕生の図、なんていうものもどこにも「眼球」が無かった時には、無理なはなしなのだ。
全ての存在は、観測者がそれを意識して、別の人に報告し、共有することで成立する。
私の内部にあるものを私が見えるように表現しなければ、それは存在しない。
人の目は光の刺激を構成することによって世界を捉えていると信じているだけである。
人類のいない地上には、音という存在、光という存在も「無かった」のである。
音と光が情報として存在する前の宇宙の在り方を想像することもなかなか難しい。
◎ノノ◎。
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2008年5月4日更新