アーサーおじさんのデジタルエッセイ408
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む  二十六歳の石井桃子さんが、小さな子達にせがまれて傍にあった英書のクマのプーさんを読むと、彼女自身が黙読になってしまった。「体温とおなじか、それよりもちょっとあたたかいもやをかきわけるような、やわらかいとばりをおしひらくような気もちであった」(08・4・5天声人語)。
			 このように、ことばにはその文脈の中で、とつぜんに光を放って誕生するイメージというものがある。
			 僕は「クマのプーさん」と言った時に、すでに胸に立ち上がる光と温度を感じる。
			これはミルンという作者の名前の響きを聞いてもあるものだ。
			 90年代のある日、激しく仕事に追われ、疲れていた私は、資料とデザインの道具を抱えて、そーっと社の近くの喫茶店に隠れた。
			資料をめくってあわただしくスケッチを始めた。
			その時、聴きなれたメロディが流れてきた。
		

それまでは外国語に過ぎなかった歌詞が耳に飛び込んできた。
			 「ヘルプ!」え、ヘルプ?それから歌詞は、話しかけてきた。ヘルプ!むかし僕がいまよりも若かったころは、誰からの助けも必要だなんて感じなかった〜、けれども、時が過ぎ、老いたいまは、君の助けが必要だと分かる、おねがい、おねがい、助けておくれ。 
			僕は顔を上げ、口を開けて、スピーカを見詰めたまま、動けなくなった。
			僕の胸の中で初めてその曲が、光を放って立ち上がった。
			ビートルズが何をしていたのか初めて知った。
			そのことばが、大きさや温度や柔らかさを持って、僕の体内で誕生している生命であることを知った。
             ◎ノノ◎。
			             (・●・)
         「また、お会いしましょ」 2008年4月26日更新