アーサーおじさんのデジタルエッセイ404

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第404 北朝鮮と印象派


 今朝。ぞろぞろぞろぞろと、黒いサラリーマンの群れが、蟻の行列のように、高層ビルに呑み込まれる風景の中にいた。
行列というよりも、洪水の水が轟轟と流れ込んでいくように、「ザクザク」と行進の音響が伴っていた。
もし逆らうと突き倒されそうであり、他の方向に向かうことが事実上、不可能にみえた。
思えば一日中、一年中、こういう波の中に住んでいる。
突然にあたまの中で見えたこと。

それは、無意識のコード(決まりごと)である。我々には自由意志はなく、目には見えない掟で動かされているという「感じ」である。
自由だ、というのはせいぜい、HD−DVDかブルーレイかを選び、ミッドタウンか赤坂かに迷い、任天堂かプレステかを選択するくらいの安全な領域で、ルール通りにチョイスする作業に限定されている自由ではないか。
 印象派の絵に描かれた欧州の田舎の光の明るさは、このコードが追っかけて来ない明るさではないか?
モネやピサロが発見した光は、神話や聖書に関する重いアカデミズムのコードを忘れて、風景を始原から始めることではないか。
 今朝、とつぜんに理解したことは、現代都市の持つ重いコード、北朝鮮への類似、そして印象派の光の理由であった。

             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年3月30日更新


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