アーサーおじさんのデジタルエッセイ368
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む そのオープン・カフェは、人生の棚卸しをするのに適している。駅に近い。
			男も女もそこそこにおしゃれをしている。
			家族連れがいれば、犬を引いている女性、サラリーマン、学生などさまざまである。
			棚卸しの方法はその前を通る人びとを眺めるだけである。
			もちろん、それは大袈裟なものじゃなくて、ここ数日に何か間違ったことをしていないか、何かを忘れてはいないか考え直す程度の、ささやかな棚卸しである。
			通り過ぎる人びとの人生や、その日の感情を瞬間的にではあるが、想像することで、自分に返って響くものがある。
			それはとても平均して世界の広さを示しているので、自分が立つ位置を思わざるを得ないのである。
			そうしてコースにズレを感じたら軌道修正をすることはできる。
			 今日、感じたことは「自分とって本当に大事なこと」がどこかにあるという事である。
			 ほんとうに大切なものは、どこかに仕舞ってあるということ。それは他人に見せることができないかも知れないということ。
			それは例えば「思い出」である。
		

日向ぼっこで見てしまった太陽のように、目に焼きついている形は、他人には分からない。それを、どうしよう。何を見ていても、いきなりその温もりは再現される。
			 大切なものは、写真に撮って額縁に入れる人もあるだろう。
			鴨居に目をやればいつでもそれは目に入る。
			でもそれは映像に過ぎず、深い意味を示さない。
			やはりタンスの奥に仕舞うのがいいのではないか。
			一人になった時、そっとタンスを開ける。
			あるいは探し物をしていて、そこに仕舞われた物に気付く。
			そして胸を焼くのである。
             ◎ノノ◎。
			             (・●・)
         「また、お会いしましょ」  2007年7月8日更新