アーサーおじさんのデジタルエッセイ350
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 精神的に不安な日は、心細くて、時間の経過がカタカタと、角のある多角形の回転体が転がっているように流れていくようだ。
			 カフェに入って無為の時間を指で触ることにする。
			吸った空気が小刻みに何度もつかえながら腹の中に降りていく。
			それでも呼気は小さな盃にピッチャーのビールを注いでいるようじゃないか。
			ザボザボとこぼれるばかりだ。
			 昨日読みかけの本が気になる。
			なぜ持ってこなかったのだろう。
			本は探しても探しても、必要なものに出くわすのは難しい。
			昨日は出くわしたのだ。
			あの続きを読まねばならない。
			このささやかな数分でもあの本なら潤してくれるのではないか。
		

 人は百万言の中からおそらく一つの言葉を探す。
			その瞬間には、肩を叩いてくれる言葉は稀なのだ。
			けれどもそれを求めているからしっかりと分かるのだ。
			その時なら、たった一つの言葉があれば生きていけるのだ。
			百万通りに分かれる分かれ道で、たった一本だけがその瞬間の自分の道だということだ。
			そのために図書館の迷路を這い、そのためにナイヤガラのような本の滝にも打たれるのだ。
			 若者が人に出会うのもそんなものだ。
			百万人もそばにいながら、特別のある人だけが救ってくれる力を持つのだろう。
			そしてまた、次の瞬間には次の百万の岐路に立つのかもしれない。
			そうやって、私は、昨日の一冊の本を、今持ち合わせていない苦しみを過ごす。
         「また、お会いしましょ」 2007年3月4日更新