アーサーおじさんのデジタルエッセイ344

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第344 ひっくり返す


 昔、学生の頃、古本屋さんというものは学者に近いのではないかと信じていた。
なにせ本のことに詳しい。
いつも本をめくっている。
おまけに愛想が悪くて眼鏡の縁越しに黙ってお釣りをよこしたり、余所見をしていたりする。
「いらっしゃいませ」などと死んでも言いそうにはない。あれは学者でもなければ出来ることではない。
 同じ古本屋でもブック・オフだと愛想がよく喋ってくれる。
ここが画期的なのは「古本を買う」をという表現を「本をお売りください」と変えたことらしい。
何がすごいのか。
それが主体の変換だとわかってもいま一つ曖昧であった。

 咸臨丸でアメリカに渡って、武家の藩体制主義ではなく、自由と個人主義で国家が作れるということをつくづく体で知った福沢諭吉は、「お上の制度」に凝り固まった人びとと世間を変えて行こうと、「学問のすすめ」や「西洋事情」のベストセラーを出版した。
それだけでは変わらない。
やがて学問をしたいと思う若者たちに、かつての自分が適塾で、藩を超えて平等に学んだように、学ぶ機会を作るために「慶應義塾」を創設した。
この時のうたい文句が『・・・日本国中の商工農士の差別なく・・』であった。
それまでの平等の感覚ではおそらく「士農工商の差別なく」であったはず。
正しく意図を伝えるにはそれすら気になったのか。
ひっくり返して呼びかけた。
これなら武家の“御坊ちゃま”が上座に座る感覚もいらないのである。
まことに逆転を発想することは、背景に存する大きな意識の表れなのだろう。


            ◎ノノ◎。
             (・●・)。

         「また、お会いしましょ」 2007年1月21日更新



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