アーサーおじさんのデジタルエッセイ327
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 松井選手が左腕を骨折してからというもの、いつ復帰するかに関心が集まる。
			日テレでは毎年の24時間テレビで、松井選手と小児麻痺(?)の少年との交流物語を放映しているが、今回は松井選手の左手骨折の事件後になる。それを見た。
			少年は足の裏を地面に着くことが出来ないほどの重度の障害者であったが、松井選手との交流の中でポジティブなリハビリに専念して、一昨年、松葉杖なしで歩けるようになる。
			また昨年は、歩きながらキャッチボールをやり、それを松井選手と55回連続に挑戦し、44回で地面に倒れた。
			今年は、なんと逆転の見せ場があった。
		

それは松井選手が少年に「ぼくのリハビリを見るかい?」と訊ねることから始まった。
			それは、少年の持続的リハビリをスポーツ選手としての自分の側から、共有し、同じ地平で激励することであった。
			平凡な人間なら、左腕の手首にザックリと現れた手術の傷口をいたわりながら静かに暮らすかも知れないのに、一流スポーツマンである彼は、それを再び活用するために、ベッドに横たわりリハビリ専門家にぐいぐいと捻られ、歯を食いしばって耐える姿が映った。
			おそらく事故以前に増して強くしたいという希望もあるだろう。
			 多くのスポーツマンが怪我を経てリハビリに打ち込む。
			それは描いている自分に達するためだろう。
			怪我がなくとも同じこと。
			人は生れ落ちた時から、自分のイメージを持つ限り、リハビリに専念する。
			どこが自分であると考えるかに掛かって、初めてリハビリとしての努力が始まる。
			本来の自分に向かって「リハビリを生きる」のだ。
			
			             ◎ノノ◎
			             (・●・)。
		
		         「また、お会いしましょ」  2006年9月3日更新