アーサーおじさんのデジタルエッセイ324
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 先日読んだ話のはずなのに、もう何の本にあったのか分からない。
			まあ、この頃は、本をたくさん読んでいる。
			それも変な読み方である。
			積読(つんどく)ならまだいいが、卓袱(しっぽく)料理のような読み方。
			違うかな、うーーん。
			たこ焼きを焼いているような読み方。
			つまり、いくつもの本を並べて、少しずついじりながら焼き上げていく。
			読書時間が重なった読み方なのです。
			「明治維新の裏方が実は・・」、の次に、拒食症の地獄の苦しみ、のあとに、西語文法接続法現在形の動詞変化、のあとに、ロジャーズのカウンセリング、のあとに、「ラ・カサ・エン・マンゴ・ストリート」などなどをパラパラ。
			その中でも同じジャンルが数冊あるので、ああ、いいなあ、と思っても分からない。
			 神に仕え人々の幸福を願うために、修道院で働く女性が、食堂で沢山のお皿を並べる。
			息が切れる。
			それを見た修道長が声を掛ける。

「あなたは、お皿を配る間、何か考えていましたか?」
			「いいえ、修道長なにも考えてはいません」
「それはいけません。
			その仕事は無駄になります。
			あなたは、お皿の一枚一枚を並べる瞬間に、それを使って食事をするであろう人びとの幸せを祈るべきです。
			そうでなければただの心無い労働になってしまいます」
 そうだなあ。そうでなければ毎日はつまらないかもしれない。
			僕らの日常は思い通りにはならない。
			そこに意味を付与しなければ、機械がやるようなものになってしまうもの。
			 などと、いい話を読んだ。うーーん。少し思い出しそうでもある。
			でも、こんな話、出典が分からなくてもいい話しなんだ。
「また、お会いしましょ」 2006年8月5日更新