アーサおじさんのデジタルエッセイ294
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む赤ん坊が目の前の犬に手を差し伸べる。犬はウルルルと牙を剥き、涎を散らす。
あわてて母親が手を引き戻す。赤ん坊はどうして恐がらないのか?
恐怖感というものはどこから生まれるのであろうか。
そしてなぜ赤ん坊には恐怖感が無かったのか。
むかしそれを考えていて、思い至った。
人生のあらゆる恐怖の源は「期待感」であろうと気が付いた。
凶暴な犬が歯を剥いて迫って来た時の恐ろしさは、実は期待感のせいだというのは驚きだ。
「噛み付かないでほしい」という期待感である。
もしも、崖に立つのが恐いのも、「落ちたくない」という期待があるから。
もし期待を失ったら、恐怖感は殆んどなくなるのではないか。
試験の発表が恐いのも、皆の前で外国人と話すのが恐いのも、「うまくいって欲しい」と切に祈るからだ。
全然どうでもいいなら、恐怖はない。期待するから人生は恐くなる。
ということは、あまりに恐怖の障害が大きいときは、一度「無意味な期待」が無いかどうかチェックして、捨ててかかると、恐怖感は和らぐかもしれない。
「また、お会いしましょ」 2005年12月25日更新