アーサおじさんのデジタルエッセイ292

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第292 縁側のアーキタイプ


幼いわが子を監禁したり、食べ物を与えなかったりする母親がいる。

こうして育った子供は母親を恐れ忌避するのは当たり前。

保護されて、他人に優しくされて少しずつ人間性を回復する。

親を恐れても、優しくしてくれる女性を「母親」と感じるかもしれない。

人間はあらかじめ自分で持っている「シンボル」と、現実の人物が一致する場合、大きく心に刻まれる、と言う。

カール・グスタフ・ユングはこの内在する人物的なシンボルを「元型(アーキタイプ)」と呼んだ。

元型には次のようなものがある。

男性性と女性性の「アニマ、アニムス」や母性の頂点「グレートマザー」そして、論理のシンボル「老賢者」。

人が異性に恋をするのは、このアニマ、アニムスを見ているからだということになる。

また、このシンボルがあるから、たとえ本当の母親に裏切られても、誰かの母性を「母親」として受け入れる力があると言えるだろう。

世界を知り、生き方を示す老人の姿のシンボル「老賢者」は、なるほど分かるような気がする。

そうすると、老女はどうだろう。

こわい魔女ではない。

あの割烹着を着て小さくなってニコニコしている縁側のおばあちゃんである。

時おり、この人たちが見せる笑顔には、深い安らぎがある。

「グレートマザー」とも「老賢者」とも違う気がする。

ユングはこのイメージを持たなかったのだろうか。

ある新聞のコラムに添えられた笑顔の老婆の写真を見て思った。

あ、これは「日だまり」ではないか。

ユングが見落とした元型に、「日だまり」を加えたらどうだろう。

あの人は「日だまり」だねえと言う時、こころに思い当たるところがあるのではないか。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2005年12月11日更新


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