アーサおじさんのデジタルエッセイ274

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第274 淋しい本屋


 どんな好きなことでもいつかは飽きる。

どんなに一途に望んだ職業や、やりがいを持っていたことでも、結構そうである。

 天才などと評価されていたある専門の人に、教えを乞うたら、「十年で飽きたよ」と淋しく言われた。

評価が大きいほど、喜びの後の虚しさを早く知ってしまうのかも知れない。

 若い頃は、本屋が日々の栞のように重要であった。

本屋は世界と触れ合うための蛇口のようであった。

そこにいれば新たな世界が、じゃぶじゃぶと降り注いで来るようだった。

 久しぶりに雑誌のコーナーを目的もなく散策してみると、ぎらぎらとカラフルな表紙ばかりが中毒を呼び起こすように迫ってくるが、ページをめくるとそうでもない。

すぐに飽きる。

タイトルに書いてあるほど何かが開かれるわけではない。

これは当の書物のせいではないのかも知れない。

 私のせいである。

私がいろんな世界を覗いてしまったという徴候である。

あるいは、書いてある内容の想像がつけば、ページを閉じてしまうのである。

世界を見過ぎた、ということはないとしても、書物には限界があるのかもしれない。

南米の奥地やシルクロードの珍しい写真を保存したいと思うこともなくなった。

もう身の回りに気に入ったものを蓄えるという感覚で生きるわけには行かない。

身をつましく削りこみたい。

1ページでも余分なものは身辺に置きたくない、とも思う。

そんな時、本屋のきらきらの陳列棚がそのまま、埃を被った遺跡のようにくすむのである。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2005年8月6日更新


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