アーサおじさんのデジタルエッセイ262
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む小さい頃は、町の道路の真ん中をとろとろと走る市電があった。
東京にも都電があった。
大学生になる前、一浪をしていて毎日通った研究所へ行くのに都電を使った。
朝は御茶ノ水に通い、昼からはそのチンチン電車で早稲田の付近に移動する。
レールの左右にペンペン草など生えていて、シュル、シュルと走りながらの車窓から見えるのは一枚に並べて披露されたさまざまな人家の裏側だった。
洗濯物や犬小屋や物置からはみ出た日用品、廃棄物。低い位置で走るのは子供のスケートからの景色のようでもあった。
今も、三軒茶屋から世田谷線に乗ればそういう風景が見られる。
ワンマンカーではなく車掌も後部に乗っている。
駅のホームは一枚のセメントの蒲鉾板よりは上等にできていて、電車優先の踏み切りもあるが、主要道路では自動車と一緒に赤信号で並ぶこともある。
人家の裏側が並べてあるところは懐かしい雰囲気を保っている。
気持ちよく走っても決して車輪がレールからはみ出すほどの危険なスピードを出すことはない。
安全である。
鉄路を滑る音を聴いていると、せいぜい乗客の思いが過去にはみ出す程度であろう。
「また、お会いしましょ」 2005年5月15日更新