アーサおじさんのデジタルエッセイ257
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む博多湾から定期船に乗って、壱岐に渡る途中、盛り上がった青い水平線の奥にこんもりと緑色の三角形の島が見えた。
ちゃぷちゃぷとおにぎりが浮かんだり、沈んだりしているみたいだ。
あれは何だ!
それが玄界島との出会いで、結局、暫らくして同志を募って出掛けることにした。
定期船には僕らの他には大した乗客はいなかった。
水平線をすべっておにぎりの島に迫る気分はえも言われぬ満足があった。
小さな波止場からいきなり二百世帯ほどの民家がひな壇のように積み重なって立ち上がっている。
島はすべて山である。
船着場で帰りの時間を確かめてから、登りに取り掛かる。
ほぼ直線で頂上に向かう小道は、実は民家の裏庭や壁や窓の横を猫のようにお邪魔しながら、通り抜ける隙間であった。
洗濯物をしているおばさんや棚状の畑に立っている老婆が「どこに行きなさっと?」と不思議そうに尋ねる。
「頂上まで」と答えても、「ほお、頂上にねえ」とまことに怪訝そうである。
息が切れる頃、背中に海の大気を感じる。
眩暈を起こしながら振り返ると、玄海灘の青黒い海が広がった。
僕らはいい加減な靴で、手には弁当と缶ビールを握っていた。
標高は200メートルばかりの小登山であるが、公園の滑り台を逆行するような直線では、十分に苦しんだ。
森に入る。
もう頂上でもいいかと思うが木々ばかりで何も見えない。
そうこうするうちに草分け道は、緩やかに下り始めた。
驚いた。
この山に頂上がないのだ。
いや、観光地ではないこの島には展望ができるように切り開いた場所などないのだ。
樹木に囲まれたまま、一角に倒木を発見した。
札があり「頂上218メートル」とあった。
そこで我々は座り、弁当を開いた。
プッシュと缶ビールを開けた。
おそらく我々の周囲の森の向こうには、風の吹きぬける玄界灘が広がっている。
満足なような、不満なようなハイキングであった。
早々に波止場に戻ると海岸を散歩したが、もう何もすることがなく、帰りの船が来るまでの長い時間を待合室で昼寝をして過ごすことになった。
硬いベンチ、蒸し暑い風、汐の香り。
やがて、さあ起きなさいと叫ぶ遠い汽笛の音。
なんら建設的な考えを要求されない時間であった。
玄界島は海上の桃源郷だったのかもしれない。
「また、お会いしましょ」 2005年4月3日更新