アーサおじさんのデジタルエッセイ238
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むミレーが「農民」に目覚める頃、都市に近い画家は「光」に目覚めようとしていた。
神話や貴族の肖像ではなく風景を描く画家はずいぶん増えていたが、まだ画面は真っ黒である。
青い空が描かれた絵なんてまだない。
いつも曇って薄暗く、その陰で卑屈に照りたがっている太陽は薄い黄色である。
画面を占めるフランスの森と木々は真っ黒である。絵は作家の無意識のように描かれるものであれば、当時の人々は木々を真っ黒なものと考えていたのがわかる。
そんな頃、(貴族などの)スポンサーの全然ついていない若い画家など、なんだか変だ?と思い始めていた。
そんなに、森はいつも黒いのだろうか?
しかし、明るく描くには「明るい太陽の光」がいるではないか。
陽光は強い黒い影を生んでしまうだろう。
見苦しい。そんな黒い影が画面に出来るなら元の木阿弥ではないか。
さて困ったものだ。
やはり古今の巨匠のように、薄い柔らかい光で左上から当てるのが正しい絵であるのだろう。
そんな時、誰かが叫んだ。
いっぱいに光をあてて、対象を輝かせ、背景もその本来の明るい色で描き、暗い大きな影など画面から排斥した素晴らしい表現がある、文化がある!うっそー!と青年画家たちが集まると、そこには東洋の色刷り版画があった。
なんだ、影なんて着けなくてもいいのか!
そして“誤ツ穂”とか“史須例”とかが明るい光で描き始めた。
“真似”も東洋の光を真似始めた。
かくして、緑は黒からやっと緑色になり、空は灰色からブルー(空色)になったのだ。____などと、甲府にある静かな美術館を巡りながら考えた。
「また、お会いしましょ」 2004年11月14日更新