アーサおじさんのデジタルエッセイ229
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むニューヨークからサンフランシスコに行こう!、とキャメロン・ディアスが叫ぶ。
「金山があるのよ。」と言う(「ギャング・オブ・ニューヨーク」)。
その時に見せた地図に驚いた。
1860年前後か。
陸路ではない。
船でいったん大西洋を南下するのだ。
赤道を越え南米の右側を下ってケープ・ホーンを迂回する。
南極に近い。
太平洋に出るとチリ、ペルー、メキシコを右に見て北上する。
西方向一直線にあるはずの場所までを、地球を半周ほどして到達する。
そうか、この頃パナマ運河もまだないのだ。
壮大な嘘みたいなロマン。
金山に向かってそのコースを航行した日本人がいた―――ジョン万次郎である。
1841年、漂流の果てに救助された船長の国・アメリカ、ボストンに渡る。
15歳。そこで可愛がられて、教育を受ける。
米国語、高等数学、天文、測量、造船、航行術、砲術、樽作りの技術などをマスターしてしまう。
たった10年にして中国行きの船に乗り、琉球で船を下りて故国をめざす。
実はこのために資金作りが必要で、1849年にカリフォルニアの金山に出かけたのだ。
そのときのコースがこのケープ・ホーン回りだった。
ジョン・万次郎に惹かれるのはこういった豊かな冒険的行動力のせいだが、もっと隠れている本当の理由がある事に気が付いた。
ホイットフィールド船長である。
万次郎を米国に連れて行き、息子のように扱い、彼が勉強をするのをサポートした。
船長の教会が万次郎を拒んだ時に、受け入れる別の教会を見つけ出し、宗派まで変えたのだという。
漂流していた日本の少年をこうやって守り育てた。
そのことが僕を捉えていたようだ。
はるか遠くの異国に自分を認めてくれる人がいるという希望こそが、限りないロマンである。
それはひとつの金山である。
一生の間にそういう存在に出会いたい、と思うことがある。
「また、お会いしましょ」 2004年9月13日更新