家の前に出ると、あの犬が居た。
		
		「旦那、待ってました」と舌をハアハア鳴らせながら言う。
		僕は悪い予感がして、黙っていた。黙っていても汗ばんで来る。
		「決心したんです…」と彼。
		僕は、暫く間を置いてから「なにを?」と訊いた。
		「脱ぎます。脱ぐんです」
		「まさか…」
		「この暑い毛皮を、脱いでみようと決めたんです。」
		僕は少し想像してみたが、彼の考えとうまく合っているようには思えないので、考え直すように話そうとした。しかし、既に彼はその「毛皮」を脱ぎはじめていた。彼は、その行動の途中で何度かてこずってはいたが、力を入れたりして脱いでしまった。
		そこには見事に"毛皮から出た彼"がいたが私は声が出なかった。
		
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「旦那?なにか変ですかい?」
		「うん…その三角筋、しっかりしているじゃないか」
		「あ、どうも。これは大腿筋…そして」
		彼は下半身を見ながら赤い腰をさすって、「これ、サーローイン」と笑った。
		僕は、笑えない。
		「以外に痩せているね。」と言うと彼は、脱ぎ捨てた毛皮を見詰め、
		「あっちにとられてるから…結構、重かったし」
		「犬であるのも、た、大変なんだなあ」
		「旦那。その、なんて言うか」
		「うん?」
		「あっち(毛皮)と、こっち(赤い彼)と、どっちが"おいら"らしいかい?」
		それは、思考の"枠組み"によって変わるような気がする。しかし、やはり
		「あっち」と僕は答えた。彼は目をまんまるくした。
		「あっちっち!」と突然彼は叫んだ。
		「涼しいかと思ったら、足の裏と頭の天辺が暑くてたまんない!」
		「気をつけないと、日射病になるよ」
		「そうですねえ、旦那」と言い、彼は毛皮に入った。
		「少しは我慢しなきゃーいけねえ。それに…」
		僕は言葉を待った。だいぶ間があった。
		「アイデンティティの問題でもあるからね…」
		彼には結構、ショックだったのだろう。
		彼だって"自分"を探しているのだ。犬の姿をしていても、生命の叫びは同様なのだ。
		「僕にも勉強になったよ」精一杯、お礼を言った。
		「わん!」安心したように、飼い主の家に帰り始めた。
		時々、体をよじらした。おそらく、毛皮の中に蟻でも入ったのかも知れない。
		全く暑い毎日が続くものだ。
		
		          ◎ノノ◎
		          (・●・),’
		              
		     「今回はホラーでした」 2000年8月9日