アーサーおじさんのデジタルエッセイ200
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むなにも考えずに映画館に入ると、館内は真っ暗でスクリーンがピカピカ見えるだけ。そこに映っているのが誰なのか。そして何を喋っているのか分からない。
セリフはノイズのように喧しく聞こえる。走っていたり、泣いていたり、でもどう感じればいいのか分からない。やっとのことで目が慣れると自分の座る席を探し出し、落ち着く。
そこに起こっている事件は何なのか?
必死に想像することで埋める。あの人とあの人は兄弟なのだろうか?
彼は何か義務を抱えているようだ。
二人は昔、恋人だったのだ。
だんだん理解し、ストーリーを追う事が出来るようになり、場面に共感し、主人公の役割を知り、はらはらするようになってくる。
しかし本当に全ては理解できない。
始まりを見損ねた映画は「人生」に似ている。
私達はいつも、世界に途中から参加しているので、そこで何があったのか、何をすべきなのか長い時間解らずに生きていく。
その間、我々は幼児、子供、と呼ばれる。
どうにか物事の成り行きが掴めて来た時、私はもはや「妻と子供のある初老に近い男」になっていた。人は途中からゲームに参加するメンバーである。
ルールは誰も教えてはくれない。
これまであった出来事は「歴史」という形で伝えられようとした。
でも私の個人的な人生の法則は正確に記されていないことが多い。
そしてその意識できない仕組みは木の年輪に似ていて、心の内部に刻まれているので、引き割らない限り見えないのだと、この頃思う。
「また、お会いしましょ」 2004年2月15日更新