アーサーおじさんのデジタルエッセイ197
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む音楽を聴いていると「絵」が浮かぶ。きっと誰でもそうだと思う。
最近はDVDなどの映像がくっついてくるので、その絵が浮かぶ人は多いだろう。
でも、そういうことではない。音楽が最初から「絵」をなぞっているのではないかということだ。
クラシックなどだともっとはっきりすると思う。
西欧の古典の作曲家はみんな絵ばかり描いていたのではないか。
不思議だなあ、と思うのは、クラシックは「自然描写・風景画」が多い。
ほとんどがそうだと思う。そして現代のロックなどは、「自然」が対象であることは少ない。
都市の情景、あるいは必ず人間の動きである。
ドラムのパーカッションは基底に人間の呼吸、心臓音を再現している。
それが歩き、呼吸し、走る。ほとんどスポーツの中継である。
そして心の律動である。
それからそれから、中間に「ビートルズ」がある。
あれは、自然の中の人のそわそわがある。
マンホールの蓋や街路樹があるものの、決して都市そのものではなく、そこを濡らす雨の雫や落ち葉や風が背景にある。
そこで人が動くから、言葉が音楽に変わり得るのだと思う。
だからそれは青春を思わせる。書きたかったのは、文章のことである。
文章には、もちろん「絵」があるけれど、絵のない場合があって、その場合でも「味覚」を感じることがある。
美味しい文章が、もちろんいいのである。
僕は、よく冷えたチョコレートビスケットや、柔らかいショートケーキを書きたいと思う。
読んだ後にも、バニラやシナモンの香りが残るような文章が好きだ。
「また、お会いしましょ」 2004年1月21日更新