アーサーおじさんのデジタルエッセイ181
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む昔、人から夜見る「夢」には色が無いと言うことを聞いた。
それは違うと思っていた。私の夢はいつもカラーであったからだ。子供の頃から今までそうである。先日も夢の登場人物が心地よいライトグリーン色の衣装を着ていて、その色があまりに美しいのが印象的であり、内容を忘れるほどであった。
最近はその話は聞かないから、もしかしたら白黒夢の風説は昔の科学的環境のせいかも知れない。今では新聞のカラー印刷はあたりまえだけど、少し以前は有り得なかった。写真のDPEも全部白黒で、8ミリフィルムもモノクロであった。
黒澤明の映画「天国と地獄」も「七人の侍」もモノクロ。最近デジタル再編集された、「ローマの休日」もモノクロ。学生時代は1眼レフで撮影をし、徹夜で引き伸ばし機で写真を焼いたものだ。
つまり、人の記憶に残る『映像』が全て白黒であった時代には、映像=白黒という強い先入観が、弱い記憶である『夢』を白黒にさせてしまったのではなかろうか。
そうすると現代人なら「カラーの夢」を見るということになる。血は深紅。空はブルー。珊瑚礁は原色の七色。むしろ夢というものが、そのストーリーや意味性にあるのではなく、五感そのものの象徴にあるのだとしたら、まさに色彩そのもの、匂いそのもの、好悪そのものが「夢」の意味だと言えるはずだろう。
古い映画では「ジョニーは戦場へ行った」や「オズの魔法使い」では現実が白黒、夢の中に入ると「カラー」に変わる仕掛けがあった。現実よりも夢の時間のほうが生きる感情が強いのであろうか。
そうだとすると、もしかしたら、カラーの夢を見るのが普通になった僕らは、「マトリックス」のようにバーチャルな世界に住んでいるのかも知れない。
「また、お会いしましょ」 2003年10月12日更新