アーサーおじさんのデジタルエッセイ168

日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む

第168話 奪う人。奪われる人。(分けるはなし4)


廊下の向こうから、誰かが歩いて来る――としよう。よく見えない。知っている人のようだ。次の瞬間に、それが『やな奴』であると分かる。はっとして、手前で曲がって会うことを避ける。

けれど、それが『いい人』であると、笑顔が湧き上がり、やあ、と声が出る。

知っている人間について、この2種類があるのだ。長い時間が過ぎて、たとえば20年ぶりの同窓会でも同じことだ。知らん振りをするか、道路の反対側から大声で「元気かい!」と名前を呼び合うかの違いがある。多くの場合、『やな奴』とは、奪う人である。会っている間、タクシーのメーターが動いてるように、奪われ続ける苦痛に襲われる。あちらは愉快そうである。やっと解放されて、別れ間際に、「あ、それから」と声を掛けられると、このあとも、決して楽しい話はない。

それに対し、『いい人』は、与える人である。こちらを気遣い、始終なにか与えてくれる。思い出も、温かくなってくるものばかり。自分はこの人に支えられているのだと感じられる。この違いを人生において認識するべきである。こういう人に近づき、こういう人と思われる人生を生きよう。「演技」はダメだよ。演技では子犬の前に立つとバレる。子犬は、あわてて逃げてしまうか、ウー、と唸る。「目」が嘘をついているからだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2003年7月12日更新


日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む