アーサーおじさんのデジタルエッセイ157
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む人を分類するのに血液型を言いたがるのは日本人の趣味である。
外国人に血液型を訊くと「なに、それ。知らない」と返って来ることが多い。
へえ、じゃ何で分類するんだろう。
体型だろうか?
出身だろうか?
それにしても本当に人間は様々である。
もちろん3メートルの身長の人はいないし、尻尾が生えている訳でもない。
大きな広場にぎっしり並べると似たようなものだ。しかし見かけだけではない。
マザーテレサがいればヒットラーもいる。
心の中も体以上に違いがある。
こっちは広場に並べても極端に違いがある。
タンポポがいればマンモスもいる。
巨大生物の人、液体の人、シーラカンスの人。
蛇の人。
一体僕らはどうやってこれらの生物群を分類すればいいのだろう。
これは私の、常に持ち続けている問題である。
幾つか、答えは、ある。
1) そばにいる人、と、そばにはいない人それは自分の人生にとっての重要度である。
価値そのものとは少し違うけれど、これを間違うとすっきりとした、豊かな人生はない。ギゼの大ピラミッドの前で、ロンドンのバーに恋焦がれるのは良くない。
吹きつける砂を嘗めながら、現地の果物のジュースを楽しむのがいい。
本当にいやなら、そこを去ることを優先すればいいはずだから。
自分から遠くにいる人を大事にすることは難しいし、危険かもしれない。
「大統領」も「将軍様」も家族より近くに感じるのは、変なことである。同じ林檎を食べられる人から大事にしよう。
私は、他にも分類を持っているはずだ。少しずつ書いてみよう。
「また、お会いしましょ」 2003年4月20日更新