アーサーおじさんのデジタルエッセイ136
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むCMに元・小錦関が出て来て、赤ちゃんが汚れた手で近づいて来るというものがあった。
僕も本物を見たことがある。
あるレストランで帽子を被った若い奥様が膝に赤ん坊を抱いて、スパゲッティを食べようとしていた。
たぶん、育児中、久しぶりのお出かけをしたので、以前のように『イタリア料理』が食べたくなって、レストランに(ひとりで?)入ってしまったのだろう。
しかし。
赤ん坊は寝ていない。
生まれて初めての風景の中で、世界中の情報をなんとか掴もうと知的なもがきを繰り返していたのだ。
お母さんは、フォークをスパゲッティに突き立てようとする。
すると、赤ん坊は目を真ん丸く膨らまして、目の前の赤い山盛りの物体に手を伸ばそうとする。
お母さんはそれを避けるために、体を引く。するとスパゲッティは遠ざかる。
また食べようとすると、赤ん坊は鰹節の前の猫のように手を伸ばす。それはそれは中途半端なものではなく、命を賭けた必死さがある。
あの延び切った手のひらほどに、力強いものを僕は見たことがない。
お母さんはお出かけの洋服がトマト色に染まるのが心配だし、ヤケドをされては大変だから、絶対に膝の赤ん坊を無視できない。
母は「喉から手が出ている」ようだが、子供は本物の「手が出て」いる。いつまでたっても、決して食べることは出来ない。
ここには、社会生活での、文化性と原始性の戦いがある。どっちが勝つのだろうか?
案外この戦いは、母親自身の心の中の出来事かも知れない。
「また、お会いしましょ」 2002年11月17日更新