アーサーおじさんのデジタルエッセイ124
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む日常が規則的な音楽のようにリズムに乗って、進んでいれば、極々当たり前のことについて、疑問を持ったりする必要はない。しかし、ときに話題に上る妙なことがある。例えば、普通の文字、大抵は漢字を何度も書いていると、その字がなんだか変に見え始め、最後には、いつもの見なれた漢字ではなく、なんだか奇妙な形に見えてきて自信が薄らぐ、なんてことがある。あじ、あじ、味 味 味、味 味 味 味 味味味味味 味。どうですか?勿論人によって感じ方が違うでしょう。
頭の中にものを理解するための読み取りパルスのようなリズムがあって、それを一定以上伸ばしてしまうと、認識の前提が揺らいでしまい、感覚が原始的になるのかも知れない。自分の顔を鏡で見ることにもそれはある。
髪を梳かすとか、コンタクトをいじるなど、目的があって鏡を見る。
もし、そうでなければ、長時間、鏡を見ることはない。まじめに顔を覗き込むとこわいものである。その像が自分自身であるという前提が崩れ、どこか他人のように見え始める。
そうすると見詰め返すその人物から目を逸らしたくなるものだ。
自分の手や足でも、目的を持たずに眺めると、変な物体であることが分かる。
文明とは、そんな原始的な感覚を封じるために、隙間なく目標と刺激で埋め尽くす持続的な組織のようだ。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ。」 2002年8月18日更新