アーサーおじさんのデジタルエッセイ118
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む古代の日本では、道路というものは少し違うものだった。地形の道筋に沿って、通れる場所を探して人が通ると、その“跡”が感じられるので、つぎの人も次の人もそこを通ることになる。夏には草が生い茂る。しかし、ある程度人が通ると、草の生え際にその跡が残るので、それと分かる。こうやって歩きやすい道筋が作られた。それが雨で崩れると、別の道筋が引き直されるか、石など積んで補強された。
(畿内を除いて、まだ都市というものは無かったから、)村から村、人家から人家へは、ケモノのように草に隠れて歩いて行く。時に広々とした野原に出れば、花が季節を教えてくれた。目や鼻の先に覆い被さる草々の匂いを嗅いだ。
足元の花を千切って嘗めた。これは動物がする行為と同じだ。気になる植物を感じると必ず噛んだ。苦い、甘い。体が必要とする養分、成分は、彼らには分かるので、それで補うことが出来た。腹痛、腎臓、肝臓、悪寒、傷、なんでも道筋で探し出す。昔、おじいちゃんと一緒に野を歩くとき、おじいちゃんは黙って草を与え、噛ませたから、今、分かるのだ。
土地が変わると、植生が変化するので、異種の草草に出会う。体が騒ぐ。神経や循環系に欠乏している新たな元素を感じ取る。嘗めて噛む。食べる。こうして隣村に行くのには、うろうろと時間が掛かった。子供たちが単独で草を噛むのは禁じられた。良く知れた、木の実、甘い草の実に限られた。未知な草は危険だからだ。お母さんは、隣村に出かける子供に『道草を食わないようにね。』
と、言い聞かせた。子犬よりも、散歩をする親犬のほうが良く草を噛むようだ。
「また、お会いしましょ。」 2002年7月7日更新