アーサーおじさんのデジタルエッセイ114
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む知人が、ベビーカーの赤ん坊は本当は何でも分かっているのに、わざと演技で「赤ん坊のふりをしている」と思うことがある。と言っていた。
脳障害者は、その逆だろう。聞こえていても動けない。でも言葉を受け取り、冷静に判断する。寡黙な立場では情報収集が豊かである。
体も動かず、声も出ない、脳障害者のひきるなさんが、詩集を出したとある。
そう聞かなければ、あばあばと赤ん坊のように見えただろう。僕等はそういう人を、ちょっと目には人の言葉を理解していない、と思い込むかもしれない。
植物はやさしい声を掛けてやるとよく育つそうだ。
ところが「殺してやる」と考えながら近づくと、悲鳴に似た電波を発する?という。
サボテンでの実験が有名だ。彼等は聞こえているのかも知れない。
しかし発声ができないのだ。パソコンをつないで言語を開発したら、色んな声が聞こえてくるかもしれない。
「水が欲しいよお、のど乾いたなあ」「やけに暖かいじゃないか?いつ花咲かせようか?」「今夜もまた、電気ついてる。まぶしくて眠れないなあ」「みどり色をほめてくれてありがとう」
僕等は、職場の廊下ですれ違う人との目視に、なにを感じ取れるだろうか。言葉がなくとも、対話が出来るだろうか。
◎ノノ◎
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「また、お会いしましょ。」2002年6月9日更新