僕は、今住んでいる家が気に入っている。駅からの道のりを1枚の地図にした。それを眺めているうちにあることに気が付いた。
犬は違う地図を持っているのではないか? 駅からの案内図は人間にしか利用できないものである。近所の大型犬・ロダン(仮名:後に「アトム」と判明)にとっては、「地下鉄:駒沢公園」の駅は存在しない。
彼には家と散歩道が世界のすべてである。 ロダンは道路を低い位置から眺めて歩く。電柱は全部チェックする。特に道路の端っこは匂いに気をつけている。これが他犬に汚されると不安になる。そこだけが「他所」に変わってしまうからだろう。
我が家の門の前を右に折れ、狭い大学の裏道などを通って、駒沢公園に入る。ここまで来ると、自分の匂いを主張することもないし、できない。数多い他の犬との五感での接触が激しく忙しい。気に入った他犬との久しぶりの逢瀬であっても、心の中を確かめる暇はない。
尻尾を振って表現するくらいである。 散歩が終われば、再び庭の中である。雨の日はゆううつである。散歩がないからだ。目の前のコンクリートの雨足を眺めるばかりである。
ところで最近、もっと手前の家に熊のような大きな犬が出現した。最初道路に居た時(濃い茶色)本当に熊だと思い驚いたものだ。未だに名前は知らない。
先日の朝、八重桜の花びらが散る中で茶色の塊がぐうぐう寝ていた。それは不思議な光景であり、ため息の出る光景であった。僕の頭の中で「ロダン」は小さくなっていった。
◎ノノ◎
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「がんばってるかい、イエイ」 2000年5月17日