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第1話 三人の女神のはなし


 大昔、女神がおりました。三人の娘を連れて高原にさしかかり、来内(らいない)村の伊豆権現(いずごんげん)社(やしろ)のあたりに泊まりました。

伊豆大権現と書いてあります。

 母の女神は「今夜よき夢を見た娘に、最もよい山をあげよう」と三人の女神たちに語ってやすみました。夜が更けて、天より霊華(れいか)が降りて、姉の女神の胸の上に止りました。末の女神がその華(はな)に気づき、こっそりとりあげ自分の胸の上にのせてやすみましので、最も美しい早池峰山をもらうことになりました。

春の早池峰山の遠景

 姉たちは六角牛(ろっこうし)山と石神(いしがみ)山をもらいました。若い三人の女神はそれぞれ三つの山に住み、今もこれを治めており、遠野の女たちは女神のやきもちを恐れ今でもこの山に登らないといわれています。


 この話は、夢物語と笑って読み流しがちですが、遠野物語を理解する上ではとても大事な話です。早池峰山が遠野で一番大切な山であることがわかります。日本ではエーデルワイスに最も近いハヤチネウスユキソウが群生する別天地が早池峰山です。その麓(ふもと)には早池峰神社があり、ここには座敷ワラシがいます。座敷ワラシは幸福をもたらすかわいい子供です。なにげない物語のはじまりに幾つものキーワードが含まれています。
 遠野物語は、なんといっても柳田国男が書いた原文の美しさゆえに多くの人々を引きつけ続けています。刊行されて90年を経ても新たな読者が次々と生まれる、この名著はやはり原文で楽しんでいただきたいので、原文も掲げます。


遠野物語2
  神の始(はじめ)
 

 遠野(とおの)の町は南北の川の落合(おちあい)1に在(あ)り。以前は七七十里(しちじゅうしちり)2とて、七つの渓谷3(おのおの)七十里(ななじゅうり)の奥より売買の貨物(かもつ)4を聚(あつ)め、其市(そのいち)の日は馬千匹、人千人の賑(にぎ)はしさなりき。四方(しほう)の山々の中に最も秀でたるを早地峰(はやちね)と云(い)ふ、北の方(かた)附馬牛(つきもうし)の奥に在(あ)り。東の方(ほう)には六角牛山(ろっこうしさん)立てり。石神(いしがみ)と云ふ山は附馬牛(つきもうし)と達曾部(たっそべ)との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔(おおむかし)に女神(めがみ)あり、三人の娘を伴ひて此高原(このこうげん)に来り、今の来内村(らいない)の伊豆権現(いずごんげん)5の社(やしろ)ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与(あた)ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深(よるふか)く天より霊華(れいか)6降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃(ひそか)に之を取り、我胸の上に載(の)せたりしかば、終に最も美しき早地峰(はやちね)の山を得、姉たちは六角牛(ろっこうし)と石神(いしがみ)とを得たり。若き三人の女神(めがみ)(おのおの)(みっつ)の山に住(じゅう)し今も之(これ)を領(りょう)したまふ故(ゆえ)に、遠野(とおの)の女どもは其妬(そのねたみ)を畏(おそ)れて今も此山(このやま)には遊ばずと云(い)へり。
▽初版本の注
〇この一里は小道即ち坂東道なり、一里が五丁又は六丁なり
○タツソべもアイヌ語なるべし岩手郡玉山村にも同じ大字あり
○上郷村大字来内、ライナイもアイヌ語にてライは死のことナイは沢なり、水の静かたるよりの名か

1落合(おちあい):二つの川の流れが一つに出合うところ。川の合流地点。
2七七十里(しちしちじゅうり):遠野は花巻、紫波、釜石、大槌、大船渡、陸前高田、岩谷堂など七つの七十里の町から貨物が集まった。
3渓谷(けいこく):深い谷間。山にはさまれた川の流れる谷間。
4貨物(かぶつ):品物。生産した物。また、荷物。
5伊豆権現:静岡県熱海市伊豆山に鎮座。火牟須比(ほむすび)命伊邪那岐(いざなき)命伊邪那美(いざなみ)命を伊豆山神としてまつる。
6霊華(れいか):神の霊なる華

なお、原文では早峰山、石山、と書かれていますが、現在は早峰山、石山と地図に表記されています。


遠野物語を読むうえで早池峰山は、遠野の信仰、民俗の土台ともいえる重要な山ですから、解説しておきます。興味のない方は飛ばして進んで下さい。

岩手県のほぼ中央部,北上高地南部にある山。標高1914m。北上高地の最高峰で大迫(おおはさま)町,遠野市,川井村にまたがる早池峰国定公園の中心地、標高1300m付近までは,ハヤチネウスユキソウなどの高山植物群落が広がり,早池峰高山植物帯として特別天然記念物に指定されています。

遠野三山地図

遠野物語には早池峰山の山岳信仰が脈々と息づいています。3女神が伊豆権現の社のある所で夢によりそれぞれ早池峰山・六角牛山・石上山を得たという伊豆権現は、藤蔵が信仰したもので三山伝説の重要な位置を占めています。

藤蔵は旧来内村の猟師で、早池峰山を開山した後は始閣(しかく)と名乗ったことが古文書にありますが、詳しいことはわかっていません。 来内には藤蔵の旧宅地跡,女神が生まれたと称するお産畑,お産田,おしめ岩,産湯を沸かしたと称するお鍋が田などこれに関係する伝承が多く残されています。この伊豆権現、今では訪れる観光客もほとんどいません。

早池峰の由来は「当山の頂(いただき)に一つの霊池あり,その形丸く径三尺、深さ三尺余、常に清水を八分ばかり湛(たた)える。霖雨(りんう:長雨)に溢(あふ)れず、旱魃(かんばつ)にも渇(か)れず、その味甘味、これを不浄の器にて汲(く)めばたちまちにして涸(か)れる。読経して祈ればまた速やかに湧(わ)き出す」と早池峰山妙泉寺文書「開山普賢坊」にあります。

 六角牛山(ろっこうしさん)は標高1,294m、牛が伏した姿をしている。石上山(いしがみさん)は1,038m、かっては女人禁制の山でした。


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