今から90年前の明治42年8月22日、柳田国男(やなぎだ・くにお)は深夜11時に上野駅から遠野(とおの)に向かって旅立ちました。幹線に乗れば3時間で到着する花巻(はなまき)駅に、13時間もかかって翌23日昼12時に到着しました。当時その先は鉄道がなく、人力車か客馬車に乗り継ぎ遠野に到着したのは23日夜8時、所用時間はなんと21時間、柳田国男35歳、若き日の第一回目の遠野への旅です。
明治42年当時列車で上野駅から東北本線で花巻駅まで行くこと自体が約500kmの大旅行の時代です。
運賃は1等8円35銭、2等5円10銭、3等3円40銭。 現在は18,000円、90年間で2,155倍になったことになります。 現在は花巻からJR釜石線で遠野まで1時間ですが、当時は人力車などで6時間かけて夜8時に遠野の市街の「高善旅館」に到着しました。 こんな大変な思いをしてまでどうして遠野旅行をしたのでしょうか? |
それから10か月後に日本民俗学最初でかつ不朽の名著「遠野物語」が出版され、今日でも岩波、角川、新潮、集英社などの文庫本が版を重ね、多くの人々に愛読されています。20世紀最後の年に、柳田国男が生涯で3度も訪れた遠野、その僻地で何を見たのか、これから確かめて見ましょう。
この地図を見てもわかるように遠野は市街地が狭く、その大半が山また山の土地柄です。
柳田国男はこの地を24日、25日、26日と歩き回り、8月27日昼前の11時に人力車で遠野の高善旅館を出て盛岡に向かっています。 |
この遠野という土地、どんなに山深いところかは次の衛星画像をご覧下さい。
さて、いよいよ遠野物語の始まりです。