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第六話 梅の花の歌


第六話:大伴旅人(おおとものたびと)の歌です。

巻三451

原文

和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能

阿米欲里由吉能 那何列久流加母

読み

わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の流れくるかも

現代語訳

わが庭に梅の花が散る。天涯の果てから雪が流れてくる。

ひさかたの

「天」の枕詞。天空の無限の広がりを暗示して、下二句をよく浮き立たせている。
「天・雨・月・都」にかかる。語義・かかり方未詳。天にかかるのを主として、天上に関係ある語にかかる。雨へは「天あめ」の同音でかかるか。萬葉集では久方の字を用いていることが多く、天はきわめて遠い彼方にあり(久方)、永遠に堅固なもの(久堅)とする意味に解されていたように思われる。

かも

感動の助詞であるが、疑問の意を遺存している。

解説

中西進のすぐれた注釈(鑑賞日本の古典第3巻「万葉集」)を引用します。
 時に天平2年(730)正月13日、旅人(たびと)は大宰府(だざいふ)のわが館に管下の部下31人を集め、梅花の宴を催した。集うものは次官の大宰の大弐(だいに)以下の大宰府の官僚のみならず、九州一円の国司以下の官人たちであり、小野老(おののおゆ)、沙弥満誓(さみまんせい)、山上憶良(やまのうえおくら)らがいた。これがいわゆる「梅花の宴」三十二首である。
 そもそも梅の花は外来の植物で当時珍しいものであった。海外への玄関口であった大宰府の、しかも長官の家には当然植えられていて、エキゾシズムを発散させていたことだろう。
 梅花の落ちるさまを「天より雪の流れ来る」と表現したのである。「ひさかたの」という表現を用いることによって天空は無限の広がりをもち、まさに雪の乱れ来る空にふさわしい。次々とどこからともなく生まれてくる雪片をひめて、雪空は無限だからである。
 なお、「流れ来る」ということばづかいの中に、いかにも旅人的な情調の流動をみせていることは、いうまでもない。

 旅人の時代は、まだ梅は珍しく数も少なかったようです。当時の中国では梅を歌う詩が多く、これをまねたというのが定説です。しかし、梅の落花を「天より雪が流れ来る」といった発想は中国には見られず(吉川幸次郎)、旅人独自の発想であり、スケールのとても大きな、すぐれた歌です。
 これで、ひとまず旅人の歌とはお別れします。次回第七話は、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)に移る予定です。


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