アーサーおじさんのデジタルエッセイ590
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 最近、時代劇などあまり見ない。
見ないということは、突然見てもはまらないということになる。
はまらないということは、突然見ると不思議な気がする、ということである。
これは外国人が時代劇を見るときの気持ちに近いかもしれない。
今はデジタルだから画面もきれいで、映像は割にリアルである。
本当にお侍さんがそこに映っているという感じである。
けれど、あらかじめ「お侍さん」というものを知らなければどう見えるのだろうか?ということである。
居間で点いていたテレビを見て「おや?」と思った。
刀が長いのである。
これまで刀が「長〜い」などと感じたことは無かった。
NHKかなんかのドラマなので、時代考証が割にしっかりしている。
ドラマとはいえ、竹光(鉄ではない軽い偽物の刀)などではないらしいのが分かる。
腰紐に二つの大小の刀を差すというのは、我々の日常からするとすごく不自然なのである。
鋼鉄だから重いのである。
左側の腰は動かし難いに違いない。
その上偉そうに歩いても、片側に振られて辛いのが分かる。
それが胸の前まで付き出ている。
1メートル前後の長い「包丁」を腰に差して歩くのである。
重さはどれくらいだろうか?
大小で2〜3キログラムと思われる。
とても派手で、目障りな包丁である。
それを腰にセッティングしたまま、町娘と話したりしている。
危ないじゃないか。
江戸時代、実際には町で「包丁」が抜かれることはあまり無いので、あれは威嚇の道具に違いない。
「切り捨て御免」などと言っても、本当に切り捨てては大変である。
ちゃんとした(大義の通る)理由がなければ叱られるし、評判が悪くなり街中で嫌われる。
「切り捨てるかもよ〜こわいよ〜」というリアル感のある威嚇である。
でもそれで町を歩くなんてなんか奇妙だ。
しかもあれは長い「包丁」である。悲しい。
人間を切り捌く専門の道具である。
へんだなあ。
ほんとにそれが腰から飛びだして見える。
私は不思議で画面に見入ってしまった。
ストーリーなんて関係なく、「うわ、恐!あんなもの持ってる」と思った。
よいしょ、よいしょ、と片足を引き摺るみたいに不自由に歩いている。
東海道五十三次なんてあれで歩いたら、さぞやくたびれただろう。
ほんと変な時代だったんだ。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2012年5月19日更新