アーサーおじさんのデジタルエッセイ587

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第587 頭の中を模様替えしてみよう


 海外に行って、しばしば思考が「リフレーミング」されてしまうことがある。
リフレーミングとは「認知の枠組みを変えること」で、自分の当たり前と思っている概念を一旦放棄して、別の視点で見直すことにあたる。
 バンコクで王宮の別荘だったか、大きな華麗な池に沢山の鯉がいて、男女が餌をやっている。
日本でもよく見掛ける光景である、私達も餌をやろうと池を覗くと、鯉が一斉に集まって来る。
けれどもなんだか変だ。
開けている口が異様なのだ。
まるで水面に無数のドーナツが浮いて動いているみたいだ。
数秒後、世界の色彩まで変化したように思えた。
池の魚はすべて「鯰(なまず)」だったのだ。
広大な池には大量の鯰が飼われていたのだった。
さらに街の商店では新鮮な魚介類が冷凍ケースに並べられていた。
名も知らぬ旨そうな魚、貝類、そしてその横には、長く伸びた蛙が並んでいた。
突然にケースが理科実験のケースに変貌してしまった。
街頭では婦人が新鮮な蛙の足を包丁で叩き切っていた。

 ああ、私たちは食べ物を前頭葉では見ることができない。
食品は唾液を絡めた舌でつかんでいる、あるいは食道や胃で捉えるのである。
 拒否するのは当面、自然なことである。
けれどもそれがパブロフの犬のように食欲をそそることになる「人生」もあることに思い至る。
世の中は広い。
別にこちらが正しく、あちらがおかしいわけではない。
こんなことは食品に限らず本当に沢山あるし、重要な面もある。
人生の局面でかなり苦しい状態があっても、あるいは無意味にストレスになるとしても、こういう外国人の概念を応用することで切り抜けられるかもしれない。
東洋のわれらと違って西洋人を見ていると、自分の癖や個性についてどう思われようと平気でいる。
他人様との違いを指摘されることが恥ずかしいのではなく、当然で必要なことだと思っているのが分かる。
こういう人をいじめるのは至難である。
日本人にはいじめになる言葉?にも喜んでくれる。
なにかの依頼を断っても怒らない。
気楽だ。このチャンネルは使えると、私は思っている。

               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2012年4月28日更新


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