アーサーおじさんのデジタルエッセイ572
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む タンスの奥から、買ったままで未使用の防寒用のズボン下が出てきた。
何年も忘れていたのだ。
これはきちんとしたメーカーの物であり、ブルーの腰のゴムベルト部分にブランド名のアルファベットが並んでいる。
ちょっと寒い処に出かけるのに都合がよいので使うことにした。
しかし、数年間放置したせいで、引っ張ったらゴムがグイイーーンと伸びた。
それでも穿けないわけではない。
まだしばらくは大丈夫であろう。
私はこのゴムの「力」というものにいつも感心する。
形状記憶合金などと騒ぐけれど、形状記憶軟体物質であるゴムは切なくすごい。
何年もタンスの中で頑張っていたのだから。
そしてまだ形状を保とうとしているではないか。
100円ショップで大量に買える輪ゴムさえ、大きく伸びてきちんと縮まる。
一体何倍に伸びるのだろうか?
その持続する力はすごい。尊敬に値する。
象の背中に乗って歩いたことがある。
プーケット島である。
揺れる背の上からはジャングルが揺れているようである。
やがてプランテーションの林に入る。
その植物群は北朝鮮の軍隊のように見事に整列したゴムの木々であった。
象使いが「ゴムの木だ」と嬉しそうに言う。
うん、地理の教科書で習ったような気がする。
知っていた気分で、フンフンと頷く。
すると、象使いは手慣れた儀式のように、手に持っていた鎌を一本の幹に振りおろした。
ハッとして見る。
ゴムの木肌の表面に斜めに切り傷が入り、血が滲んだ。けれどその血は牛乳のように真っ白な乳液であった。
象使いはその白い線を指でなぞるように引っ張ると、その白い線は剥がれてやわらかい物質に変わっていた。
ニヤニヤする彼から手渡された白い紐は、もう数秒でゴムに変わっていた。
端を引くと、いくらでも伸び、放すと勢いよく戻った。
「あ、ゴムだ!」と当たり前であったはずの言葉が感動に変わったのだ。
世界には様々な物質がある。
20世紀に入ってからはプラスチックを始め、それまで地上に存在しなかった人工合成物質があふれている。
セシウムもそうである。
しかし、象の背中で触れる白いゴムはまぎれもない「神の作品」である。
永遠ではないが、永遠ではない人間にとってその力は不可思議な魅力に思える。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2012年1月14日更新