アーサーおじさんのデジタルエッセイ480
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 百科事典があるとする。
			とても役に立つ。
			しかし、百科事典が役に立つのは、その内容が素晴らしいからではない。
			どんなに素晴らしい記述と項目があろうとも、それらが見つからなければ無意味である。
			まだ読まない内容を見つけるとはどういうことか?
			ことばの順番に並んでくれているから探せるのである。
			 世界にはとてつもない、情報と知識が溢れている。
			それにもかかわらずほとんどが役に立たない、くずとして流れていくのは、順番に並んでいないからである。
			項目、レベル、カテゴリー、情報量、すべてが乱雑に折り重なってやってくる。
			インデックスのない知識は、ゴミに等しい。
		

 しかしである。
			実は人生の片鱗を知っていくには、そういう「ぶつかる」という方法しかないのである。
			さも整然とものを覚えたかの如くに、将来の方向を決定して、選別してしまうのは、実はおそろしい。
			自分には全く合わないピースを要求することにどんな意味があるのか。
			無限のピースの中から、あのかっこいいピースが欲しいと言ったところで、自分という隙間には、合わないかもしれない。
			かっこいいピースについて何年も学び、時間をつぶす必要はない。
			しかも自分は多少は可変なのである。
			ばらばらの百科事典しか与えられなかった私達は、手元にあるページを丁寧に読んでいくのが、まずよろしいのである。
			そこに、欠けた行があれば、求めて歩くことを考えればよい。
			自分で埋めてもよい。
			百科事典は自分専用に編まれるのであろう。
			 ああ、しかし、今回はなんて抽象的な文章なんだろう。
			              ◎ノノ◎
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」 2010年2月5日更新