アーサーおじさんのデジタルエッセイ478
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 思い出してほしい。
			ドラマでは人間関係でちょっと葛藤があるシーンを、黒い悪魔と白い天使の対話や対決で表現することがある。
			人の心の中に、同時に悪い心と、良い心が住んでいるらしい。
			面白いのは、決して天使が優位ではないということ。
			悪魔も天使も平等か、勝手であるということ。
			あるいは主人公が迷っている時に、神様じみた老人や、死んだ祖母や、師匠が出てきてアドバイスすることもある。
			その人物の過去の文脈にふさわしい姿で登場するようになっている。
			そしてこれらはすべて、脳の中の事実である。
		

 脳の中で、何が起こっているのか?
			思考回路には「補助自我」が住んでいるのである。
			実は、世界は単純で分かりやすい論理で成り立っておらず、二極性で矛盾した性質で迫るのが通例である。
			前もって用意された単純な論理で判断すれば、人生では大きな間違いを冒すこともあり得る。
			それを牽制する統合的な能力が、一人のあるいは二人の「補助自我」として現われる。
			これは文化ではなく、人の自然の能力であろう。
			「そんなおいしい話はないよ」「そんなおいしい話に乗っからない手はないよ」。
			どちらがいいのだろう?
			 だが注意しよう。
			天使にはお上の回し者がいる。
			成人まではお酒は飲まないで、とか、あなたの一票が国政を決める、とかいう声は、正しい法律や国家などのことを判断しているようでもありながら、個人の思考を制御する力もある。
			世界を判断する補助自我の中に、こっそりと為政者のご都合も入り込んでいる。
			結局、天使がいいに決まってる、と思うのは根拠がないのだ。
			 物知り顔で体制的な天使の言う通りに過ごせば、多くの夢や改革は手に入らない。
			龍馬もチェ・ゲバラも、アインシュタインもイチローもビル・ゲーツも、オードリーの若林と春日も、天使の老婆心のささやき(?)には疑問を持ったのだろう、と思うのだ。
			              ◎ノノ◎
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」 2010年1月23日更新