アーサーおじさんのデジタルエッセイ469
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む その「老人」は正午よりも早めに社員食堂に入ると、奥の席に陣取り、口をもぐもぐさせながら、入り口の方からトレイを持って次々と入ってくる人々を、顎を突き出した顔で眺めている。
誰かを待っているのではない。
表情は鉄の彫刻のように一様で固まっている。
顎を突き出して、ガラスのように表情のない目は、鉄人28号が座っているようだ。
人が自分の前を通り過ぎるとき、張子の虎が首を振るように、視線で追いかけている。
一人ずつそうやって観察しているが、何も観察していないようにも見える。
私は彼を見るたびに何か「デ・ジャ・ビュ」に捕われる。
何日も過ぎてから、ああ、あれは赤ん坊の目だと悟る。
赤ん坊は、すべてを判断できないのでプライオリティを付与せずに、目の前の人々を凝視するではないか。
赤ん坊は目の前の熱いスパゲティに手を伸ばしたり、恐いオジサンがすごんでもじっと価値付けずに眺めていることができる。
それに見入られると、大人は驚くことがある。
それは関心と無関心が、天と地に分けられる少し前の時間の行為である。
(小さい頃に銭湯で、誰もが知らん振りをする刺青者を、赤ん坊がそばに来てじっと観察していたことがある)
人は長い人生を過ぎて、再び赤ん坊の目に戻って、世界を見直すのだろうか。
これまでの価値観を捨てる林住期のために、あらためて観察を始めるのだろうか。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2009年11月14日更新