アーサーおじさんのデジタルエッセイ457
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む エトランゼはフランス語で「ガイジン」。スペイン語ではエストゥランヘェロになる。
ま、呼び方はどうであろうと、そこに住んでいる異国人のことである。
しかし、文脈の歴史のせいか「エトランゼ」というとカッコよく聞える。
何か然るべき訳あって地域に住み込んでいる異国人という感じである。
実はフランスに多いと思われていたのは、画家としてのエトランゼであろう。
ピカソもミロもシャガールも藤田も、みんなエトランゼである。
つまり、決して有名になれなかった貧乏画家達は、画家と呼ばれず、エトランゼと呼ばれたのだろう。
「俺はエトランゼだからなあ」とは、売れない画学生・遊学画家の自嘲だろうか。
そして、ガイジンだから認められないのだ、という言い訳にもなったのだろう(事実は関係ない)。
身近な何人かに「隠れエトランゼ」がいる。
彼らはれっきとした日本人のはずだが、どこかで自分を「エトランゼ」だと考えている。
この国が窮屈で居心地が悪いのだ。
おそらく、コウノトリが疲労気味で、日本列島に落としてしまったのだ。
ガイジンに憧れるが、言葉は通じない。
いろんな言葉を試しては、隠れた故国を捜しているようだ。
日本の養父母とは適当にやっているが、本当の両親がどこかにいるはずだと思い込んでいる節がある。
テンノーとかヤスクニとか、カロウシとかブチョウとか聞くと、ああ異国にいるのだと感じてしまうらしい。
ちょっと勝手だが、本当の両親が名乗り出てくれない以上、そういう考えもあながち否定できない。
こういう人の存在が国内の語学学校を支えているのだ。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2009年8月22日更新