アーサーおじさんのデジタルエッセイ434
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 通勤の朝、空を見上げる。
それは死者のように色を失っているのだ。
太陽は力が足りず、大空の片側を無機質に光らせるだけで、その全部を温めることをもはや放棄しているように見える。
きりきりと空気が捻られ、頬をナイフの刃が撫でる。
そんな中で、目に飛び込むのは、女高生の二本の脚である。
ここだけが生っぽく動脈を反映したピンク色で跳ねている。
超ミニ。
しかしそれは下半身のことで、首は厚いマフラーでぐるぐる巻きにされ、手先もコートの袖に隠れて見えない。
これはなんと言う試練なのだろうか。
制服を制定した白髭の歴代校長・教頭は、その当時何を考えたのだろうか。
「げに大和撫子にはふさわしき短きスカート」とでも考えたか。
タイツもパンツルックも真冬であろうとご法度。
男子はネクタイ。
脚は自然体がよろしい。
しかしこんな日は、体全体での表面積の大きい脚からは体温がどんどん奪われるに違いない。
パーティで背中を丸出しにする
英国の王室の伝統のように、訳もなく固執するプロトコルなんだろうか。
そういえば、北朝鮮の最近の映像で、ズボンで町を歩く女性を、監視隊?の男達が引止めて「なんだその格好は!」と咎めていた。
理由はある日ある時ある方が「女性はスカートが好ましい」と言ったからだそうだ。
髭の校長もそれかしら。
確かに冬の日の女高生の逞しい脚はまぶしく輝くのは事実である。
かつて早稲田の教授が個人的に価値を見出したのも伝統的に布石があったのか。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2009年2月1日更新