アーサーおじさんのデジタルエッセイ301
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 小さな頃の福原愛さんが優勝した記者会見で「愛ちゃんは、今何がしたいですか?」と問えば、彼女はもじもじとし、大きな声で「おしっこー!」と答えた。
ここで答えているのは、ただの「ネコの仔」や「犬の仔」である。
一方、テレビの注目の人物たち、突然にマイクを突きつけられれば、その質問にどう応えてもマスコミの餌食になるようだ。
うかつなことを言えば、揚げ足を取られる。
黙秘し、カメラを叩けば、それはそれで「不埒な態度」などを表現してしまう。
答え方には、パターンがあって、そのシナリオをなぞるのが落ちであろう。
心理学理論の交流分析では、人の心の中に3つの自我、親(P)と大人(A)と子供(C)があって、それが相手と反応し交流するのである。
愛ちゃんの発言は、大人(A)の質問に対する、子供(C:自由な子供)の答である。
人は大人になるに従い、Cの反応を狭めていくようだ。
甘い新婚家庭や落ち込んで退行状態にある時などはC、そうでなければPかAでやり取りをする。
しかし、これが曲者である。
パターンに縛られているからである。
どうやりとりしても台本を読んでいるみたいにタイトである。
だから、マスコミにも決め付けられてしまう。
Aでプロポーズをすれば「共に人生を歩んでくださることを希望します」とでもなるのだろうか。
ちょっと、寂しい。
「ローマの休日」の最後のシーンで、「王女、欧州の各国を回られて、どの国が最も印象的でいらっしゃいましたか?」と記者に問われ、オードリーは側近に急かされて「どの国もそれぞれに較べ難い印象があり・・・」と始め、そして突然目が輝く。
「・・・ローマです!とりわけローマの街が忘れ難く・・・」と顔を上げる。
あの時に、彼女の自我の中のAがCに変わったのだ。
それ程、子供の自我は人の心に響くのだ。
「また、お会いしましょ」 2006年2月12日更新