アーサおじさんのデジタルエッセイ241
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むたまたま土曜日の夕刊を4紙、並べてみる。
		
一面トップの記事は、大事件が起こっている場合、どれも同じ内容を扱うことになるけれど、その日は全て見出しが違う
		
・知財保護、ファッション重視 (N)
		
・中国で「ノルウェイの森」100万部突破 (Y)
		
・光化学スモッグ都内で倍増 (A)
		
・日米防衛首脳、米軍再編へ分担見直し (M)
		
ということは、まあ、平和の証拠であろう。
		
これまで、4紙が全く同じ「見出し言葉」になるということも何度かあった。
		
記憶によれば、
		
『米国 イラク空爆開始』
		
『小泉首相 北朝鮮訪問』
		
などだったか。
		
いずれも新聞を横断する幅の黒帯が異様であった。
		
その黒さは落ち着かない気分になる。
		
でも、これが全くバラバラだと、「なーんだ、今日はなんにもないんだ」とどこかで思うのはどうしてだろう。
		
人は平和よりも事件が欲しいのだろうか?
		
その欲求ゆえ、様々なスポーツ大会が生み出され、開催され、支持される。
		
激しい戦いほど、燃え、満足させられる。
		
人間は絶対に変だ。世界をひっくり返すような出来事がないと、つくろうとさえしてしまうのだ。
			
		
「また、お会いしましょ」 2004年12月5日更新